みょんの日本脱出計画

自分が困った時にたくさん色んな人に助けてもらっているので、このブログも少しでもお困り事の解決に役に立てばいいなぁ。

日本から少し飛び出て見ることの葛藤と功績

小学生までは、世界のことなんてよく分からずに、ただイギリスに行ってみたかった

ハリー・ポッターの世界にひたすら憧れた

親も友達も海外にはあまり興味がないし、周りに外国の人はいなかったから、余計に憧れが強かった



中学生の時、英語の先生が言っていた

「英語で日本を支える日本人がいる」

「彼等は見知らぬ土地で、良い品を日本に届けようと奮闘している」

「英語を駆使して」


高校生の時、隣の国々を敵視する風潮が波立った気がする

でも私は漢詩が好きだった

お隣の音楽も好きになった


大学生の時

中国人の先生たちは誰よりも賢く熱心だった


台湾に行った

出会った人たちは明るく親切だった

けれどきっとその親切さに、私達は「日本人だから」と高慢になってはいけない

彼等が今後も微笑みかけてくれるかどうかは

今の私達の行動にかかっている


イタリアに行った

彼等は陽気に見えたけれど

きっと辛いこともたくさんある

でもそれを感じさせない工夫をしているのかも




アブダビに立ち寄った

石油王みたいな服を着ている人が

私達と一緒にマックの列に並び

ハンバーガーを食べていた

同じ人間なんだなぁ



念願のロンドンに行った

私の憧れのロンドンに住んでいても不満を抱く人はいた

杖のおじいさんの呼び掛けを

無いものとする人たち

おじいさんから言われた

「あなたはとても親切」


バスの運転手さんはとっても忙しそう

だから降りる時に言うの

「Thank you!」


それとなくご婦人に席を譲ったら

会釈とお礼をいただいた


バスを待っていた時の隣のおじいさん、

目の前の教会で結婚式

一生懸命 説明してくれてありがとう


タクシーのドライバーさん、私あんまり英語で会話できなくてごめんね

そして中国人の青年達、私に百貨店のマップ解説させるとはいい度胸だ


そしてこの国は

EUと袂を別つことはもう決まっていた



ドバイに行った

フィリピン人のホテルマンは気さくだった

トルコ人のガイドさんは雄弁だった

パキスタン人のドライバーさんもにこやかだった


エレベーターで話しかけてくれたアラブの方

うまく英語で話せなくてごめんね


そして一緒に地図をにらめっこして悩んだ

白人のご婦人

別れ際に「バイバイ」嬉しかったよ


パンがトースターから飛び出た時

ここだよと教えてくれた中国人のご婦人


空港で友達になった

アメリカに住むバングラデシュ人の友人

そして そのきっかけをくれたバングラデシュ人のおじいさん




どの国も、完璧ではなかったと思う

私もまだちょっとしか世界を見ていない

好奇心に突き動かされ
ひとりで飛び出したのは まだ2つの国

失敗もたくさんした

でもね

「話せば」

なんとかなるものよ

片言でも、身ぶりでもいい

目を見て「話せば」

なんとかなるものよ


そしてとっても重要
万全の事前準備



「あの国の人は」


国で括ってしまったらもったいない

そう気づいたのは

外に飛び出してみてから


決して「私」がスタンダードではない

今は、それでいいと思っている。



友人から送られてきた

ハイビスカスの写真は

とても美しかった


彼は私の送った

桜の写真を

美しいと言った




それだけでいいと思っている



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